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August 0281999

 ぼんぼりの家紋違へて川床隣る

                           橋本美代子

床(ゆか)は、京都鴨川沿いや貴船のそれが有名。要するに、夏の間だけ茶屋や料亭が川の上に桟敷を突き出して作る座敷のこと。カフェテラスの川版だ。当然、川床の下には水が流れるわけで、見た目には涼しそうだが、実際はどうなのだろうか。京都に住んでいたので毎夏遠目にはしたが、そんな高級な夕涼みはしたことがなく、わからない。家紋入りのぼんぼりを立てるなどは、いかにも豪勢だ。到底、一般人の立ち入れる場所ではない。若いころには、こうした遊びに反発も覚えたけれど、最近はそうも思わなくなってきた。当然のことながら遊びも文化だから、豪勢な遊びのできる人は少ないとしても、その豪奢に引っ張られるようにして、一般人の遊びのレベルも上がってくる理屈だ。当今の料亭は汚職の取り引きの場所ともなりがちだが、その閉鎖的な空間が育ててきた極上の遊びの文化、衣食文化の功績には多大なものがありそうだ。ひたすらに遊びのためにだけ、ありたけの智恵を絞る仕事は、たとえ商売とはいえ、素晴らしいことではあるまいか。ところで、お宅の家紋は何ですか。我が家は、たしか抱茗荷(だきみょうが)だったと……。(清水哲男)


May 3152003

 螢火を少年くれる少女くれず

                           橋本美代子

語は「螢火(ほたるび)」で夏。何人かの友人知己とその子供たちと一緒に、蛍狩りに出かけた。帰りがけに、螢を捕らなかった作者に気のついた「少年」が、「あげるよ」と言ってくれた。しかし、そんな様子を見ていた「少女」は、くれるそぶりも見せないのだった。一般論として、このシチュエーションはよくわかる。私の体験からしても、少女よりも少年のほうが、万事に気前がよろしい。女の子は、総じてケチである。でも掲句は、そういうことだけを軽く詠んだのではないと思う。少年と少女の行為は並列されているけれど、実は作者の心中の焦点は、少年にではなく少女に合わされているのだと考える。たかが螢ごときを後生大事に抱え込んで離さない少女の性(さが)が、同性である作者にはよくわかるからだ。彼女がくれなかったのは、単なる吝嗇からというのではなくて、もっと女に根ざした深いところから発していることが……。そのことが哀れとも思われ、悲しさとも写る。むろん、この暗い思いは、少女を通じて作者自身にも向けられている。一見さらりと言い捨てたような句のなかに、作者の哀感が、それこそ闇夜の螢火のようにか細くも明滅している。作者・橋本美代子は橋本多佳子の四女にあたる。『巻貝』(1983)所収。(清水哲男)


June 0862007

 わが金魚死せり初めてわが手にとる

                           橋本美代子

魚が死んだ。長い間飼っていたので犬や猫と同様家族の一員として存在してきた。死んだ金魚を初めて掌に乗せた。触れることで癒されたり癒したりするペットと違って、一度も触れ合うことのない付き合いだったから、死んで初めて触れ合うことが出来たのだった。空気の中に生きる我等と、水中に生きる彼等の生きる場所の違いが切なく感じられる。この金魚は季題の本意を負わない。夏という季節は意味内容に関連してこない。この句のテーマは「初めてわが手にとる」。季題はあるけれど季節感はない。そこに狙いはないのである。もうひとつ、この素気ない読者を突き放すような下句は山口誓子の文体。「空蝉を妹が手にせり欲しと思ふ」「新入生靴むすぶ顔の充血する」の書き方を踏襲する。誓子は情感を押し付けない。切れ字で見せ場を強調しない。下句の字余りの終止形は自分の実感を自分で確認して充足している体である。作者のモノローグを読者は強く意識させられ自分の方を向かない述懐に惹き入れられる。橋本多佳子の「時計直り来たれり家を露とりまく」も同じ。誓子の文体が脈々と繋がっている。講談社『新日本大歳時記』(2000)所載。(今井 聖)


September 2692007

 大花野お尋ね者の潜むなり

                           三沢浩二

の草花が咲き乱れている広大な野である。いちめんの草花に埋もれるようにしてお尋ね者が潜んでいるという、ただそれだけのことだが、この「お尋ね者」を潜ませたところに作者の手柄がある。今はあまり聞かない言葉だけれど、読者はその言葉に否応なくとらえられてしまう。昔も今も世を憚るお尋ね者はいるのだ。さて、いかなるお尋ね者なのかと想像力をかきたてられる。そのへんの暗がりや物陰に潜む徒輩とちがって、大花野が舞台なのだから大物で、もしかして風流を解する徒輩なのかもしれない。そう妄想するとちょっと愉快になるけれど、なあに小物が切羽詰って逃げこんだとする解釈も成り立つ。草花が咲き乱れている花野はただ美しいだけでなく、どこかしら怪しさも秘めているようでもある。浩二は岡山県を代表する詩人の一人だった。「お尋ね者」に「詩人」という“徒輩”をダブらせる気持ちも、どこかしらあったのかもしれない――と妄想するのは失礼だろうか。年譜によると、浩二は昨年七十五歳で亡くなるまでの晩年十年間ほど俳句も作り、俳誌で選者もつとめた。追悼誌には自選238句が収録されている。掲出句の次に「悪人来菊人形よ逃げなさい」という自在な句もならぶ。橋本美代子には「神隠るごとく花野に母がゐる」の句がある。この「母」は多佳子であろう。花野には「お尋ね者」も「母」も潜む。「追悼 詩人三沢浩二」(2007)所載。(八木忠栄)


June 2762010

 さくらんぼ笑で補ふ語学力

                           橋本美代子

は「えみ」と読みます。季語はさくらんぼ。いったいよくもこれほどかわいらしいものが世の中にあるものかと思うほどに、色艶も、大きさも、手と手をつなぎあっているその姿も、完璧な果物です。一生こんなものを眺めていられるなら、さぞや楽しい人生だろうと思うわけですが、この句はそれほどに楽な状況ではなくて、おそらく外人との会話に、困り果てている姿を詠っています。これで文法は正しいだろうか、とか、3単現のエスを忘れてしまった、とか、言いたい単語は頭の中にその姿を現しているものの、どうしてもその言葉が出てこないとか、困りきった挙句に笑ってごまかしています。35年以上も外資系の会社に勤めて、そのほとんどの期間において外人の上司の下で働いていた私としては、実に、人ごととは思えない句です。ところで、さくらんぼと、この状況とはどんな関係があるのでしょうか。困り果てた挙句に浮かび出た素直な笑顔が、弱さをありのままに出していて、なんとも無防備で無垢なかわいらしさをたたえていた、それゆえのさくらんぼなのでしょうか。『俳句のたのしさ』(1976・講談社)所載。(松下育男)




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